1966年
三条万里子に師事
1969〜1973年
渡米 マーサーグラハムスクール、ジョフリーバレエスクールにて学ぶ
ニューヨークYMCA、グビキュロシアターで、コレオグラファーのワークショップに参加
作品を発表、ダンサーとして活動
1974(〜1993年)
ソロコンサート"VAIBRATION" "MOVE"、
グループダンスコンサート"点と螺旋" "サークルダンス"のシリーズを発表
1981年
ボディ・カルチュア・センター設立
表現するからだをより多面的にとらえ、新たな発見をめざし設立。
1984年
第一回 ADF DANCE MODERN COLLECTION STUDIO200にて出演
1987年
N.Y. BS/22 "VIBRATION" 公演
1989年
ベルリンタンツファブリックにて研修
1992、98、99年
白州 夏のフェスティバルに参加
1993年
イスラエル舞踏家 リチャードオーバックとジョイントコンサート
"記憶のかたち" 下北沢タンホールにて公演
1996年
"点と螺旋" "VIBRATION" "サークルダンス" 下北沢タンホールにて公演
1998年
市川雅追悼公演 "静かな狂想曲" 中野テルプシコールにてソロコンサート
2001年
"闇に燃える旅人" 劇団解体社アトリエにてコンサート
2002〜2015年
公演活動休止
20015年
テルプシコールにてソロ公演
10月30日 /19:00時開演
田野日出子について
故 市川 雅(舞踏評論家)
ニューヨークのダウンタウンにはダンス・シアター・ワークショップ、キッチン、セント・マークス・チャーチなど、ポストモダンダンスの牙城ともいうべきスペースがある。田野日出子は70年代初期のポストモダンダンス成立期の熱風をまともに受けたダンサーである。
彼女自身もニューヨークのキュビキュロ、PS122などで公演してきた。
最近はほとんど東京中野のテルプシコールで、
より本格的な舞踏活動を続けている。
ポストモダン・ダンサーの多くはM・カニングハムの影響を受けているのに反し、田野はグラハム的な螺旋状の動きや東洋的ともいえる極度に低い腰を中心に作品を構成している様にも見える。
「点と螺旋」「サークル・ダンス」などはこうした傾向をもつ作品である。
一方ソロで踊ることの多い「バイブレーション」は身体のバランスとアンバランスを多面的なレベルで試みている実験的な作品と言える。
田野には出来上がってしまった、同時に形骸化してしまったテクニックを使ってスペクタクルな空間を作ろうとする姿勢はまったくない。
身体の影に隠れた空間を浮上させようとする深さ、
しかも熱烈な意思を田野の作品には感じさせる。